復活の常磐ータキシードボディが行く

北日本周遊記②  [いわきー仙台]

 [初日(土曜日) 横浜ー仙台 その2]
・いわき駅

いわき駅

常磐特急「ひたち」は東京・千葉・茨城・福島と一都三県を駆け抜け、いわき駅に到着した。品川を06時45分に出発し、いわきに到着したのが09時18分。222Kmの距離を2時間33分で結んでしまったと言うのだから、恐るべき俊足である。(表定時速87Km)

地元、横浜を走る各種踊り子にも、このぐらい頑張って欲しいものだ。(愚痴)

このいわき駅は福島県南東部の中心地で有るとともに福島県最大の市(人口ベース)である「いわき市」の中核駅で、常磐線の他に磐越東線(ゆうゆうあぶくまライン)も乗り入れている。

したがって郡山に出ることも可能であるが、今回はこのまま常磐線を北上するプランにした。


・常磐線 [いわきー竜田]

いわき09:22発→竜田10:05着 671M 651 4両

いわきー仙台間は総距離151.9km。所要時間は3時間48分。

既知の通り、この先は平成23年、2011年に発生した震災の影響を強く受けたエリアになる。
実のところ、仙台に行くにあたっては東北線ルートと常磐線ルートで大いに迷った。東北ルートの方がロスがなく、特急を使う必要も無かったためである。

しかしながら、今回は敢えて常磐経由を選んだ。6年経った今、全線復旧のめどが立ち、活気が戻る地域も増えてきた。テレビやニュースなど、映像だけでは見えてこない現場の実情を、見ることができればと思ったからだ。

常磐s年を普通列車として走る651系

さて、いわきから乗車するのは竜田行きの普通列車。…普通列車なのだが、なんと見ての通り車両は特急型。常磐特急の高速化の立役者となり、往年のスーパーひたちを支えてきた、言わずと知れた「タキシードボディのすごいやつ」651系だ。

651系はE657系の増備に伴い2013年に常磐線から撤退(代替運用除き)し、現在は高崎線特急「あかぎ」や「草津」として走っている。…のだが、水戸支社の「より快適にご利用いただくため」という粋な計らいで、2017年7月22日からいわきー竜田間の内、1日2往復が651系で運転することになったのだ。

しかも、最初の運用が「ひたち1号」から接続し、竜田で原ノ町への代行バス(2本/日)に接続するという、まさにドンピシャ、グットタイミングなものであり、コレを利用せずに何を使うのだ!と言った具合なのである。

ーそれはさて置き

09時22分、本格的に雨が降り始める中、タキシードボディの普通列車はゆっくりと動き出した。
10両編成の特急からの接続であることや、座席が向い合せにセットされていることから相席が多く発生し、それを嫌った客が空席を求めて車内を右往左往していたのが印象的だ。

続く草野を出た辺りでもその状況は変わらず、諦めて相席する者、デッキに立つ者、相変わらず右往左往する者など三者三様だ。

651系の車内は向かい合わせ

座席は向かい合わせにセットされているが、回転させることも可能。

ひっきりなしに通路を人が通るため、「落ち着かないなぁ…」と思っていたその矢先、四ツ倉駅で家族連れやビジネス客と思わしき客がドカッと降り、車内が嘘のように静まってしまった。
その後もちらほらと乗降が繰り返されており、この列車しか見ていないのでなんとも言えないが、長距離旅行者だけではなく、一般利用も堅調なように取れた。

09時34分頃、久ノ浜手前で景色が一変する。住宅が立ち並んでいた右手に、再び海が開けたのだ。

震災の爪痕が残る海岸

やはり海岸沿いは震災の爪痕が残っていることがはっきりと捉えられる。
一面が更地になっている区画もあり、津波の地震と津波の恐ろしさを改めて実感させれる。

久ノ浜を出ると山間に入り、トンネルを出たり入ったりするように。その後も単調に下車が続き、広野で乗客は半分以下に。なおもトンネルと海岸沿いを繰り返していく。

木戸駅にて。平成26年に運転再開されたエリアで、駅前にホテルが建つなど復興への動きが見られる。

列車は広野を出ると現状での最終復旧区間に入る。これまでの区間に比べると建設途中の施設が増え、正に再建真っ只中と言う様相だ。

木戸を出ると線路は次第に海岸を離れ始め、09時57分、列車は竜田駅に到着した


・竜田駅

651系と竜田駅

曇天だが、雨はやんでいた。
竜田は2面3線の地上駅。旅行日時点では3番線のみが使用されており、駅舎のある1番ホームとは仮設の足場で繋がれていた。(更新日現在、富岡駅復旧のため1番ホームも試験使用開始。それに伴い仮設足場は撤去された。)

乗ってきた列車は折り返しいわき行きとなるようで、降車が住むとホームで待っていた乗客がすぐに乗り込んでいた。座席が向かい合わせにセットされていたのは、こうした折り返し時の管理を簡易化するためなのだろう。

竜田駅

東横線開業前の副都心線渋谷駅を思い出す構造

富岡方面に伸びる線路

2019年、再び仙台まで一本に。

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さて、ここから先はいよいよ代行バスを利用することになる。
先に書いたとおりであるが、このバスが中々に曲者で、鉄路につながる浪江まで行くバスが1日2本しか無い。(10時05分発の原ノ町行き・20時10分発の浪江行き)

(最も、この状態は10月21日の富岡駅復旧により大きく改善されるが)

竜田駅駅舎


・常磐線(代行バス) [竜田ー原ノ町]

竜田10:05発→原ノ町11:35着 浜通り交通 大型バス 2台

竜田駅を出ると、駅前すぐ右手に浜通り交通の大型バスが2台停車していた。
普段は1台だが、行楽シーズンなど需要が高まる時期は複数本で運転するのだそうだ。

常磐線代行バス

発車まで時間が無いようだったので、すぐに乗り込む。2台ともほぼ全て座席が埋まっており、車内はざわついていた。発車前に「バスにはトイレが付いておりますが、走行中は使えませんのでご了承ください」との案内が流れ、乗客数人が駆け足で駅のトイレへ。
全員が揃ったかどうかを確認して、発車である。

このバスは、富岡、浪江、小高に止まり、終点の原ノ町までを1時間35分で結ぶ。中々の長時間乗車だ。

竜田を出るとしばらくは駅前の路地を走行、10時13分頃に国道6号線(陸前浜街道)に合流し、楢葉町から富岡町に入る。工事用車両などで交通量は多い。
このあたりで乗務員の方より案内が入る。代行バスだからか、バスの放送と言うよりは鉄道のそれに近い内容。但し完全に、というわけではなく、ところどころバスのニュアンスも交じるからか、聞いていて不思議な感じである。

国道6号線に合流してすぐ、時間にして10時15分頃から、道路上の看板に発電所の文字が見られるようになる。第二原子力発電所だ。
こちらは第一原子力発電所と異なり重篤な事態には陥らなかったため、周囲も比較的日常に近い様相を保っている。道路沿いのガソリンスタンドなども稼働しているようだ。

10時23分、バスは富岡駅に到着する。ー止まるのはバスロータリーだが、案内状の扱いは「駅」である。ー富岡駅では迫る復旧開業に備え、駅前の最終整備を行っていた。

次の駅は浪江。本来であれば間に3駅あるが、この付近は帰宅困難区域になるため停車しない。
また、窓を開けないように指示が出るほか、線量モニターの案内が行われる。
この先は自動車以外で立ち入ることが出来ず、緊急時を除き駐停車も許されない。車内にしんとした空気が張り詰めていった。

注意歓呼がひとしきり終わると、いよいよバスは帰宅困難区域に入る。道路の両側が頑強なバリケードで封鎖され、生活感を失った町並みが広がる。バリケードは脇道へと進まないようにするため、また窃盗行為を防ぐためと言った狙いがあるようだが、何とも物々しい感じがする。
コンビニ・ガソリンスタンド・ファミレス…ありとあらゆる施設がおしげった草の中に埋没し、除染による廃棄物が連なる様子は、流石にショックを隠しきれない。

ー10時52分、規制区間を抜け、バスは浪江駅に到着した。ここから先、岩沼駅まではすでに復旧しているため、行こうと思えば鉄路で行くことも可能である。…が、続く浪江始発の電車が12時19分にならないと来ないため、乗客の殆どがこのまま乗っていくようだった。

続いて止まるのは南相馬市の小高駅である。
11時13分、小高駅に到着。しばし停車し、駅員の方と連絡を取る。15分、発車時刻になると終点の原ノ町に向けて出発する。
小高駅は駅前の菓子工房に人が集まっていたのが印象的だった。常磐線が開通することで、いつの日かの賑やかさが再び戻ってくればいいなと、強くそう思うばかりである。

原ノ町の市街地に入ると道路沿いに多数のディーラーが立ち並ぶ風景が広がり、車通りも急上昇。市街地をランニングする人なども見られるようになり、久々に街の活気が感じられた

原ノ町駅


・原ノ町駅

代行バスは無事定刻に原ノ町駅に到着。幸運なことに、天気が回復していた。

原ノ町と言えば相馬野馬追である。駅名標にも馬のデザインがあしらわれ、駅構内にも野馬追を紹介する区画が設けられていた。
ゆっくりと見たいところだったが、次に乗る列車が到着するようだったので惜しみつつもこの場を後に。駅構内のコンビニにて食料を補給し、ホームへと向かう。

ーまた必ず来よう。


・常磐線 [原ノ町ー仙台]

原ノ町11:50発→仙台13:10着 E721 4両

さて、次に乗る列車は本日の目的地、仙台行きの列車だ。常磐線は路線としては岩沼までであるが、基本的に東北本線と一体化し、全ての列車が仙台まで向かうことになっている。

701系電車E721系電車

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仙台方面からやってきたのは701系。言わずと知れた東北の主である

ラインカラーは中電でお馴染みの青色から緑に変わり、ついにここまで来たのかと強く実感する。

さあ、いよいよここからはロングシート地獄…そう思いきや、後ろにE721系がひっついているではないか!

しかも放送を聞くと、後ろの2両(701系2両)は切り離し、前4両(E721系2両×2編成)だけで行くという。

切り離し作業が終わり、発車案内が流れる。
車内はボックスシート主体。各座席に1人、ないし2人程度が乗っている状況で、かなり余裕がある。どこかで見たような顔ぶれが並んでいるのは、長距離旅行あるあるであろう。

11時50分、旅行客が大半の列車は仙台に向けて発車した。

この先、相馬までは2011年の12月に運転再開したエリアで、他地域と比べると駅施設の損壊が少ない。線路も移転などは行っておらず、旧来の景色が広がる。

12時07分、次第に住宅が広がり、相馬駅に到着する。相馬は名の通り相馬市の中心駅であり、スーパーひたちの停車駅でもあった。そこそこの乗降があり、列車は再び動き出した。

この先、駒ヶ嶺から浜吉田駅までの間は津波による甚大な被害を受け、線路を海寄りに移設した区間だ。

新地駅
移設区間に入ると今までとは一転、線路が真新しい高架橋に変わる。駅舎も新造されたもので、非常にきれいな作りになっている。どの駅もガラスが多用され、大変開放的だ。(写真右は新地駅)

新地を出るといよいよ宮城県に突入する。

山下駅

整備によって駅と駐車場、バスロータリーが一体化した山下駅

山下駅を出ると列車は新線区間から従来の線路へと戻り、景色も昔ながらの住宅地の様相になる。

さて、列車は浜吉田でまずまず乗客を乗せ、定刻12時33分に発車する。長かった常磐線の旅もあと30分ほど。もうひと踏ん張りである。

次なる拠点駅、亘理で学生が大勢乗車し、ボックスシートは満席に。遂に立ち客も現れ始めた。時刻的にちょうど昼頃であり、部活のある学生の入れ替わり時間ということもあったのかもしれない。

いや、しかし正直な話ここまで混雑するとは思っていなかった。周りの客もそう思っていたのか、焦り荷物をまとめていた。

列車は逢隈を出ると、東北第二の長さを誇る阿武隈川を渡り、日暮里で別れた東北線と合流する。12時49分、定刻より少し遅れて岩沼到着。ホーム対面に居る福島行きシティラビットと接続をとり、すぐに発車した。
その後、名取では空港アクセス線と合流。なおも乗車傾向は続き、4両編成の車内は満杯となる。ーここまで来て混雑地獄を味わうとは…思ってもいなかったぞ…。

…そんな私の気持ちをよそに、列車は淡々と終点に向けて走る。南仙台・長町・太子堂と仙台市街地圏に突入し、ビルが立ち並ぶ風景へ。新幹線と合流しながら、13時10分、列車は終着・仙台に到着した。


・仙台駅

仙台駅

上野から363km、時間にして6時間39分。遂に東北の大都市・仙台に到着である。
いや~長かった…ほんとに…。
常磐線の旅はここで一段落。本日の目的地はここ仙台であるが、日が沈むまでにはまだまだ時間がある。
そこでこの後は、「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」で有名な立石寺ー通称山寺へと向かうことにする。

観光するに際し無駄な荷物をロッカーに入れ、いざ、山形へ!

Next…

目次はこちら

話は前後するが、以下に常磐線の現況を載せておく。

常磐線復旧の現況

2017年10月現在、いわきから先は、毎時一本の普通列車が走る状況である。

いわきから原ノ町方面へは

  • 竜田行きが11本/日
  • 広野行きが6本/日
  • 久ノ浜行きが1本/日

となっているが、2017年10月21日に竜田ー富岡間が営業再開し、竜田行きが富岡行きに延伸される。またこれに併せ、富岡ー浪江間の代行バスの本数も増便(下り6本/日・上り5本/日)される。

これにより、遂に[いわきー富岡ー浪江ー原ノ町]での接続体制が整う。残す富岡ー浪江間(富岡・夜ノ森・大野・双葉・浪江)も2019年度末を目安に復旧の目処が立っており、全線運転再開への道筋がはっきりと見えてきている。

ーここまで

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